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あれからさらに時は経ち…

2022年の春から転職のため関東に引っ越して一年弱、入籍したり結婚式したり本当に色々あってウケた。

今の会社は、前のところより自分が勉強してきたことが活かせるので嬉しい。
レベルが高すぎてついていくのに精一杯で、違う部署に飛ばされないかびくびくしながら仕事してる。前の会社では全くこんな思いをすることがなかったので新鮮。

関東に来てから色んな店や博物館に行ってます。
本当にとにかくどこ行っても楽しい。
今日は北千住のビストロと、飯田橋近くの印刷博物館に行った。
ビストロはランチ1000円台でめちゃくちゃ美味しい牛ホホ肉が食べれたのでマジ最高、もっかい絶対行きたい。友達(関東にぜんぜんいないけど)とも行きたいな。
印刷博物館は日曜なのにめちゃくちゃ空いてて笑った。たばこと塩の博物館より空いてた。
ちょっとアクセス悪いからね…。でもクオリティは本当に高くて、良かった。

常設はまず壁画とか石板とか、古代からの所謂"メディア" と言えるものたちが、説明なしにただ壁にたくさん飾ってあるスペースから始まった。
その殆どが、一度は歴史の教科書で見たことがあるような、有名な遺産のレプリカで、まあレプリカなんだけど、本やモニターからの平面的な情報しか持っていなかった石板とか印とかを、立体として見ることができるのは中々面白い体験だった。金印あんな大きさだっけ、もっと小さいと思ってたけど…。
あとそのスペースの最後に、印刷博物館を運営してる凸版印刷株式会社が作成した、世界一小さい本が展示されていた。本どれ?ってくらい小さくて驚いた。

常設のメインスペースは、とにかく"出版に関すること"について、時代を追って理解できるような作りになっている。印刷・出版に関わる仕事を始めてから5年目の自分でも、まだ知らないことが(恥ずかしながら)沢山あるんだな〜って感心しながら夢中になって展示室を歩いていた。
活字の歴史が結構面白かったな〜、徳川家康ってそんなに出版事業に貢献してたんだ…という新鮮な驚き。
また、そういう歴史的側面だけじゃなくて、他にも色分解が体験できるところとか、輪転機のミニチュアとかあって、印刷の"仕組み"に対してもわかりやすく展示してあるのも良かった。

あとVRシアターが1時間に1回上映されてて、今日は伊能忠敬の日本図についての映像だった。
60近くになってから、自費で北海道の海岸線全部歩いて測量した伊能忠敬マジでやばすぎる。江戸時代だよ?北海道マジの未開の地でしょ。小学生の頃から知ってたはずのその情報が、より解像度高く学び直せた感じで本当に良かった。あと私達含めて4人しか見てなかったのも何か良かった。全体的に高級感あっていい造りしてる博物館なのに、人が少なくて、なんかプレミア感。

特別展?は世界のブックデザイン展的なやつで、実際に(ビニール手袋ごしだけど)触りながら世界中のコンクールを受賞した本たちを楽しむことができた。
LOSTAGE五味さんの本が置いてあったのびっくりしたし普通にめちゃ良かったから欲しいな。

帰りは途中で御徒町に寄って、ひさしぶりにアーンドラキッチンでビリヤニを食べた。
相変わらず美味しいし大盛りで、とりあえず半分テイクアウトさせていただいた。
明日の朝ごはんです。楽しみ。

3/2

あれから時が経ち………。

 

最終更新が2019年なんて驚き。いやこうなると思っていなかったわけじゃないけどね。2020年はちょっと忙しすぎたから仕方ないね。

それでも、引っ越したんだから引っ越したことくらい引っ越した日に書いてくれないと、引っ越したときの引っ越し作業のめんどくささとか、リアルな質感で覚えときたいよ。

気が利かなかったなあ当時の自分。

 

 

 

6/7

ケンタッキーをウーバーイーツで頼めちゃうのは危ないね
太っちゃうからね でも美味しいので頼んじゃう

いよいよ再来週に引っ越し、ダンボールが届いたので荷造りを進めていかないといけない…けど、何から手をつければいいんだろうか…。

引っ越しまでできる限りモノを増やさないようにしなければ

5/28

久しぶりすぎる。

久しぶりに友達のブログを読んだ。
あ〜、わりと投稿してたんだな〜なんて思いながらゆっくり記事を読んでいって、あ〜、ちゃんと書いてるな〜と感心する10分弱。
最終投稿は昨年9月だった。文字に起こす気にならなくなることってあるよね。
かくいう私もなんとなく書かなくなって、今はまたなんとなく最終投稿日で張り合いたくなったという、クソしょうもない動機でこの文章を書いている。

引っ越すよやった〜。ぶっちゃけ2017年からずっと部屋探ししてた気がする。ウケるね。

見返したときに、自分が自分にはっとさせられるような記事を書きたいと思うけど、特にないな。最近平和なんだよね。
今の会社にいるうちはどうやっても大金持ちにはなれないな〜と気づいてからは、HIKAKINさんの動画を見て、お金持ちの生活を追体験する毎日を送っているよ。

通り魔とかの無差別殺人、高齢者の暴走運転による交通事故死など、自分でいくら気をつけていても限界があるデス・イベントが多すぎるよ。あんまりにも暗いニュースが多いからか、恋人が前にも増して生きづらそうになってて心配だ。
とりあえず防げる危険は防いでいきたいので、今日も残業はしなかった。帰る時間はできるだけ早くというのを心がけたいね。

この時点で読み返す。
一貫性のない文章が転々と置いてある。

最近インスタのストーリーでも同じようなことしてて、昨日それを見た恋人からは「会話してても常にこんな感じだから参る」って言われた。

たしかにこれは参る。申し訳ないね。

電車が最寄り駅についた。
明日のお弁当の材料買ってから帰ろう。
 
次はいつ投稿するかな。

10/8

なんかもうどうでもよくなって公開設定にした。


ほかってたブログを久しぶりに見たんだ。
他でもないここのこと。

自分だけの限定公開にしてたからありのまましか書いてないし飾ってもないので、リアルに当時の状態がよくわかるブログに仕上がっていて少し満足。

途中ボーダーでしかないクソキモいメンヘラがいるけど気にしない。
本当にかなり元気になったと思う。

今日は仕事帰りにミニストップでソフトクリームを食べた。
祖母がその生の中で最後に食べた食事だったので、見るたび思い出して1年ほど食べることができなかったけど今日食べた。やっぱり泣いた。

あーちゃん、私は本当にあーちゃんが大好きだった。
家族の誰よりも一緒に過ごして、母のご飯よりもあーちゃんのご飯で育ってきたのにもう食べられないなんて本当に信じられないよ。

まだ実家に帰ると会える気がしてしまう、本当に。

今日だって祖父とモーニングに行っているとき、はやくあーちゃんに会いたいなって言いそうになってしまって自分でもびっくりした。

今でもこうやって書いてるだけでしゃくり泣きが止まらなくなるしもう本当にだめだ〜。


元気になったし、就活も終わったし彼氏との喧嘩も嘘みたいに少なくなったけど、そんな健全な精神状態でも、きついもんはきついんだな。

6/15

某教材出版社の最終面接に行けることになった。きっとこれを読み返す自分は、これから受けるこの面接の、合否を知ってるだろうからとても羨ましい。
なんとしてでも合格したいんだよな、人生がかかってるから…。
本当いい加減落ち着きたい、私が要領悪いし気が利かないのが悪いんだけど、塾の仕事は行くだけで疲れてしまう。

あと、まだまだ祖母のことを引きずってしまっている。今日仏壇に近況報告したとき「○○(私の名前)ちゃーん」と祖母の声が聞こえてびっくりした。(スピリチュアルなメンヘラなのでしかたないね。 2019/5/28加筆)
そういえばお葬式の事を書いていなかった、忘れないうちに書いておこう…。

祖母が死んだのは夜中だった。母の誕生日が終わって三時間ほどで息を引き取った。もう最後の日は水すら一滴も飲めない状況で、時々血混じりの涎を垂れ流していたので、十分覚悟していたが、やはり最後呼吸が止まった瞬間はキツかった。
祖母の遺体を抱き起こして姿勢を整えるとき、祖母の口から声(うめき声)が出たので、母は一瞬喜んだような表情を浮かべたが、ただ空気が抜けて声門が振動しただけだった。
祖母の遺体の下はしばらく暖かかった。

朝になると、苦しそうだった顔から一転して、ニコッと笑っているような顔になっていたので一同驚いた。
祖母が亡くなった事実を改めて目の当たりにし、悲しい気持ちで溢れたが、祖母もガンの苦しみから開放されたのかと思うと、嬉しかった。

祖母の通夜と葬式は、完全に身内だけで執り行われた。新瑞橋のティアなんて、いつも何となしに通り過ぎていた場所で祖母を弔うなんて思ってもなかった。
祖母が倒れてから、次にシャワーを浴びれたのはこの日だった。とても丁寧に洗ってくださって、本当に感動したし、祖母が何より風呂が好きだったのもあって、最後にシャワーを浴びれたという事実が、心の底から嬉しかった。
死化粧は、ここ数年の祖母がずっとスッピンだったのもあって、あんまり似合ってなかったけど、血色よく見えるのであれはあれでいいのだろう。
棺桶に蓋がされるまで祖母は私の祖母で、生きた人間だったけれど、蓋がされた瞬間に死んでしまったような気がした。

家族一人ひとり、祖母にメッセージを送った。
私はこういうときうまく言葉がでない、かずの「もっとあーちゃんのご飯食べたい」という言葉がやけに刺さった。私も同じ気持ちだった。みんな同じだったと思う。

祖父は、本当に辛かっただろうし、まだ本当に本当に辛いだろうけど、祖母に優しく語りかける姿が本当にかっこよかった。

火葬場に行ったとき、いよいよこの世から祖母の肉体が、質量が消えるという事実が信じられなかった。めちゃくちゃに泣いた。
祖母の骨は、思ったより小さかった。
きれいな骸骨だった。

12月18日

 2日前に二十歳になった。私が泣いてしまったのもあり、幸佑は色々とまだ気に病んでいるようだけれど、きっと長い時間をかけなければどうしようもないことなので、割愛。私と彼はおそらく上手く行く以外に何もないと思う。のんびりと努力しあっていきたい。まあたぶん、お互いをどうとかいうより、まず自分の身を立てることをね…。まずそこが私達二人共きちんと出来てからしか、何も進展できないと思うから。長い目で見てほしい。

 祖母が退院した。本人と、そして家族である私達全員の念願である帰宅だ。初めて入院した日からもう3週間近く経っただろうか。かなり弱り、トイレはもう行けないようで、おむつになっていた。
 時折短い言葉で会話が成立するけれど、もう殆どの場合は、話しかけられても言葉が出せないようであった。眠いのか、悲しいのか、痛くて辛いのか、あまり開かなくなった左目が涙ぐんでいるように見えるのが本当に痛ましい。脳に転移したガンのせいだろうか、それとも、貼るタイプの新しい薬を増やしたからか、嚥下障害が入院中よりも酷くなっていて、薬も容易には飲めなくなっていた。
 「自然に、人間は、身体が欲しければそのぶん食事を摂る」というようなことを主治医先生が言っていたので、私も家族も、無理に何かを食べさせようなどとは思っていないけれど、薬は飲まないと、本人が痛くて辛いだろうからそれが悲しかった。
さて、もうプリンやソフトクリームを一日にふた匙ほどしか摂らなくなって4日ほど経つ。水分は摂っているけれども、流石にもう、きっと、祖母は、祖母の体は死にゆく準備をしているのだろうと思う。
 あと願うことがあるとすれば、常に人を気にして、気にして生きてきた彼女にとって、大晦日や正月に死ぬのはたいそう辛いだろうから、それ以外の日に連れて行ってあげてほしいなあ、という事だけ。