12月18日

 2日前に二十歳になった。私が泣いてしまったのもあり、幸佑は色々とまだ気に病んでいるようだけれど、きっと長い時間をかけなければどうしようもないことなので、割愛。私と彼はおそらく上手く行く以外に何もないと思う。のんびりと努力しあっていきたい。まあたぶん、お互いをどうとかいうより、まず自分の身を立てることをね…。まずそこが私達二人共きちんと出来てからしか、何も進展できないと思うから。長い目で見てほしい。

 祖母が退院した。本人と、そして家族である私達全員の念願である帰宅だ。初めて入院した日からもう3週間近く経っただろうか。かなり弱り、トイレはもう行けないようで、おむつになっていた。
 時折短い言葉で会話が成立するけれど、もう殆どの場合は、話しかけられても言葉が出せないようであった。眠いのか、悲しいのか、痛くて辛いのか、あまり開かなくなった左目が涙ぐんでいるように見えるのが本当に痛ましい。脳に転移したガンのせいだろうか、それとも、貼るタイプの新しい薬を増やしたからか、嚥下障害が入院中よりも酷くなっていて、薬も容易には飲めなくなっていた。
 「自然に、人間は、身体が欲しければそのぶん食事を摂る」というようなことを主治医先生が言っていたので、私も家族も、無理に何かを食べさせようなどとは思っていないけれど、薬は飲まないと、本人が痛くて辛いだろうからそれが悲しかった。
さて、もうプリンやソフトクリームを一日にふた匙ほどしか摂らなくなって4日ほど経つ。水分は摂っているけれども、流石にもう、きっと、祖母は、祖母の体は死にゆく準備をしているのだろうと思う。
 あと願うことがあるとすれば、常に人を気にして、気にして生きてきた彼女にとって、大晦日や正月に死ぬのはたいそう辛いだろうから、それ以外の日に連れて行ってあげてほしいなあ、という事だけ。