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某教材出版社の最終面接に行けることになった。きっとこれを読み返す自分は、これから受けるこの面接の、合否を知ってるだろうからとても羨ましい。
なんとしてでも合格したいんだよな、人生がかかってるから…。
本当いい加減落ち着きたい、私が要領悪いし気が利かないのが悪いんだけど、塾の仕事は行くだけで疲れてしまう。

あと、まだまだ祖母のことを引きずってしまっている。今日仏壇に近況報告したとき「○○(私の名前)ちゃーん」と祖母の声が聞こえてびっくりした。(スピリチュアルなメンヘラなのでしかたないね。 2019/5/28加筆)
そういえばお葬式の事を書いていなかった、忘れないうちに書いておこう…。

祖母が死んだのは夜中だった。母の誕生日が終わって三時間ほどで息を引き取った。もう最後の日は水すら一滴も飲めない状況で、時々血混じりの涎を垂れ流していたので、十分覚悟していたが、やはり最後呼吸が止まった瞬間はキツかった。
祖母の遺体を抱き起こして姿勢を整えるとき、祖母の口から声(うめき声)が出たので、母は一瞬喜んだような表情を浮かべたが、ただ空気が抜けて声門が振動しただけだった。
祖母の遺体の下はしばらく暖かかった。

朝になると、苦しそうだった顔から一転して、ニコッと笑っているような顔になっていたので一同驚いた。
祖母が亡くなった事実を改めて目の当たりにし、悲しい気持ちで溢れたが、祖母もガンの苦しみから開放されたのかと思うと、嬉しかった。

祖母の通夜と葬式は、完全に身内だけで執り行われた。新瑞橋のティアなんて、いつも何となしに通り過ぎていた場所で祖母を弔うなんて思ってもなかった。
祖母が倒れてから、次にシャワーを浴びれたのはこの日だった。とても丁寧に洗ってくださって、本当に感動したし、祖母が何より風呂が好きだったのもあって、最後にシャワーを浴びれたという事実が、心の底から嬉しかった。
死化粧は、ここ数年の祖母がずっとスッピンだったのもあって、あんまり似合ってなかったけど、血色よく見えるのであれはあれでいいのだろう。
棺桶に蓋がされるまで祖母は私の祖母で、生きた人間だったけれど、蓋がされた瞬間に死んでしまったような気がした。

家族一人ひとり、祖母にメッセージを送った。
私はこういうときうまく言葉がでない、かずの「もっとあーちゃんのご飯食べたい」という言葉がやけに刺さった。私も同じ気持ちだった。みんな同じだったと思う。

祖父は、本当に辛かっただろうし、まだ本当に本当に辛いだろうけど、祖母に優しく語りかける姿が本当にかっこよかった。

火葬場に行ったとき、いよいよこの世から祖母の肉体が、質量が消えるという事実が信じられなかった。めちゃくちゃに泣いた。
祖母の骨は、思ったより小さかった。
きれいな骸骨だった。